耳鼻科と安楽死の番組と桜シメちゃん

先週の木曜日からずっと喉が痛いままなかなか治らないので耳鼻科に行ってきました。

右の耳の方もなんか、違和感がずっとあって・・・。

耳鼻科って子供のころから私あまり鼻がよくないので、子供の頃よく行ってました。ネプライザーだったかな、をやりに。
いつ頃からか行かなくなっちゃったんですけどそれ以来の耳鼻科だったので内心ドキドキで行きました。どんな感じだったかな・・。
初めてのことはいつもちょっぴり恐怖がありますね。

喉をみてもらったら真っ赤。耳と、鼻もみてもらいました。
耳は何も言われなかったんだけど「さわらないように」て言われました。耳の穴の皮膚は薄いから、と。荒れてたのかなぁ。
鼻は、カメラで視てもらいました。鼻から入れるカメラですね。これ初でした。胃カメラはやったことあったんだけど。
そんなの簡単に鼻に入るのか?て思ったけど、インフルの検査よりも痛いかなと思ったらそれよりは痛くなくてよかった。

5日分の薬と抗生物質をもらって帰宅でした。
また抗生物質か~。この春はどうもダメだなあ。細菌かなぁ。しっかり寝ているんだけどなー。単なる疲れだとしても、続いてるのがやだ。
自信がなくなっちゃうよね・・。

そういえば昨日のNスペの安楽死の番組。
あんなにあっさり数分で眠って死ねるのは憧れてしまう、てのが率直な意見でした。人が生きているところから死んでいくところを撮るって、最近はドキュメンタリーも結構踏み込んだ内容のものが多いですよね。どこまで映すんだろうと思ってハラハラしたりした。

けど、死ぬ直前に家族にお礼を言ってその直後にあんなにあっけなく命が消えるっていうのは、生きている上でやっぱり憧れみたいなものを感じます。もちろん、私は毎日生きたい、出来るだけ長生きできたらいいなあと思いながら生きているけれど、どういう形であれ迷惑をかけると思うし。
それに、眠ることは大好きだから、大好きなことをしながら死ねるというのも憧れる理由の一つかなぁ。
もちろん、第三者の視点からの想いだからつらつらと簡単に書けたりするけど、そうか、そういう選択がある国もあるんだなぁと知れたし、もし私が治ることのない病気になり彼女と同じ状況になったのだとしたら、自分の人生を自分でしまう選択はとても、逆に光を与えられるようなものになるかもしれないなと。

これだけ毎日気が沈むようなニュースが続き(報道も過敏になっているからそういうネタをこぞって取り上げているからというのもあるけど)死ぬことについても普通に生活しているだけでも誰かの情報が飛び込んでくる。自分から選択する暇もなく。
日本もそのうち、数十年もしたら安楽死が法律でも認められるようになるのかもしれないなぁ。かなりの条件はつくだろうけど、生きづらさを感じている人には一つの明るい選択肢になるんだと思うし。

もう一人、継続的に治療をしながら生きて行く道を選択した方も出てきたけれど、なんというか、二人それぞれで同じ天秤に載せて測れないよなーって。

もっと心にどーんと重く響くテーマかなと思ったけど、逆に少し心が軽くなったような番組でした。

アクロバティックシメちゃん☆この日も桜の木を選んであさごはん中。

おっこちないギリギリのところをいちばんよく知っているね。

花びらはいっぱい落ちちゃったので、見つけやすいです。

やあ!翼、見てみて。こんな色なんだよー。

カワラヒワが珍しくこの木に来て新芽をついばんでいました。いろいろと食べる種類が多いんだなあ。きみたち。

そしてこの日やっと・・・やっと、キビタキの姿が撮れました。
いつもの公園では去年もキビタキが来てくれてて、営巣してベビの姿も見せてくれたんですよね。でもそれまではキビタキ自体を地元で見かけることがほとんどなく。私の行動範囲では。
この日の前の日あたり、数日鳴き声だけは聞こえてたのでどっかのタイミングで撮りたいなと思ってたけれどやっとです。うれしい。

桜シメちゃん、今度は少し低木の桜にも来てくれました。さっきは高い桜の木だったんだ。

これからのシーズンは桜でもコゲラをよく見かけることができるようになります。他のカラ類と一緒に動いているけれど、この時はひとり。近くに行くのを許してくれました。

いっぱいごはんつかまえてね。

桜シメちゃんを最後にして彼らは旅立っていくのです。
冬の間たくさんかわいい姿を見せてくれてありがとう、と言う気持ちです。

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