書くということ

ちょこっとmixiでも書いたけど、思うままに、つれづれ。

小さな頃、小説家になりたかった。
小学校の頃は、毎日本を読んで、図書館を1年で一番利用した人、ナンバーワンでした。
そういう、賞があったんだよね。

漫画は読ませてもらえない、厳しい家庭で育ったので、ひたすら、小説や物語、図鑑・・・
母の仕事の関係で、学校から帰ったら毎日、いろんな場所に母とくっついていって、母が仕事をしている傍らで本を読んだり、ラジカセを持っていってラジオを聴いたりする、小学校時代でした。

その頃から、マンガが好きでよく書いてたけど、
中学校に入ったら小説も書くようになって。
1冊のノートに、恋愛小説と、イラストも自分で書いて、クラスのオンナノコたちにまわしたりしていました。

とにかく、書くことが大好きだったんだろうな。
ものすごいロマンチストかも・・・。それは今でも、続いてるかも(笑)

そして、しばらくは文字を書くことから遠ざかっていたけれど、
25のときにネット上で自分のサイトを更新するようになってから、以来、気づくともう6年以上、日記を書き続けています。

どっちかというと、日常の、今日はこういうことがあった、っていうことより、
その時感じた想いを、整理するために書いていたような気がする。

今、その書くことに対して、いろいろと、思い惑うことがあります。

数年前まではそんなになかったのに、最近、
自分が日記で表している自分と、実際逢ったときのあたしと、ギャップを生じる人が増えてきたような気がするからです。

こんな人だと思わなかった、とか、
文字だときつい印象を受けてたけど、実はそうじゃないんだ、とか。。
どのあたしも、あたしなんだけど、その捉えかたが正反対な場合もあったりするわけで、そんなとき「あれ?」て思ったりする。

それは自分の書き方が、いけないのかなーとかね。

まあ、それはそれで、人それぞれ感じたらいいことなのでいいのですが、
書くことって、自分の中の癒しだ、っていつも思ってるのだけど、
これほどまでに強い「書く」という感情があるのはどうしてかなーって最近思うようになった。

ただ、ふつうに、今日あった出来事を書く。それが日記なら、
なんか、それって、誰でもできるわけで・・。
自分にしか出せない自分らしさ、みたいなものって、どうやったらうまく引き出せるんだろうと、最近模索しています。

それを、昨日京都に行った時に、友達といろんな話をして、追求しようとした。

その友達は、学問的な観点から、自分を見てくれて、とても嬉しかったし、
いろんな言葉が、「あーなるほどね」って、思ったりもしたんだ。

「きゅきゅさんは、クリエイターなんだ、って思ったよ」って言われてびっくり。
クリエイター・・・かぁ。それはアートの業界だけじゃないんだなーって思って。
確かにあたしはなにかをいつも「伝えたい」と思って、文章を書いてる。
多分それは、自分のためもあるけど、誰かのために、なのかもしれない。
というかここでネット上で書いている以上は誰かが見るわけだしね~。

いかに自分が伝えたいことを、相手にそのまま伝えられるんだろう?
「それは、無理かもしれない。自分とまったく同じ人間はいないからね」と彼は言う。
確かに、そのとおり。家族だって他人。だからよく喧嘩もしたりするもの。

なんか、言葉だけで相手とコミュニケーションをとるのは多分無理なんだけど、
それじゃあなぜ文字ってものがあるんだろう?ということも、思う。

「昔の人がずっと研究し続けてきて今も出ない解答なんだから、きゅきゅさんが今それに対して解答が出せなくったって、それは当たり前なんだよね」とも。
昔は印刷の技術もなく、すべて手で写していた時代。
伝えたいことを、後世に伝えるために、手ですべて写して、残していった文献。
それが今もひきつづき、学者さんたちとかに、読まれて研究され続けてる。

結局解答というのはないんだろうなー。

「文字を書く。それを人に伝える」
ついついあたしは、文字数が多くなる。それはきっと、なるべくたくさんの言葉で、相手にこの感情を知ってほしいから。
ただ実は、突き詰めていくと、
実は、言葉ってどんどん、実を伝えるためには「少なく」なっていくものなんだよねー。
あたしは逆のことをしている。

友達が言ってた。
「これはコップです、って、目の前にあるコップのことを言ってしまうと、
そのコップは、その瞬間からコップじゃなくなるんだよ。
コップ、と言い切ることで、そのコップが載っているテーブル、近くにあるスプーン、そういうものたちがあってコップ、といわれてるけれど、
ほんとはこれはコップなんだろうか?って疑問符をなげかけはじめると、
実は、言葉として表現できなくなって、黙ってしまうんだ」と。

言うことで、真実から離れていく。
そういうこともあるんだよね。

じゃあなぜ、言葉ってのが、あるんだろう?

少なくとも今あたしにできることは何だろう。

伝えたいことを、なるべくたくさんの文字を持って相手に伝えることと、
できるかぎりシンプルに削っていって、最終的に単語ひとつになってしまうこと。
どっちが正しいか分からないけど、今の自分にできることは、
今この感じている感情をそのままに記すことなのかなぁ、とも思った。
これでも、推敲しているんだけどね(笑)
推敲して、みんなにわかりやすくしたのは、mixiで記せばいいと思った。
つらつらとまとめながらの文章は、こっちでいいかーって、思って。

文章に、すきまがあると、それを読んだ人それぞれが、自分の思うように捉えて、コメントを返してくれる。
だから、かえってmixiだと、事実だけ簡易的に書いたほうが、コメントが多くつきやすい。
でも、自分の想いを細かく書いてしまうと、人によっていろんな捉えかたがあるから、こわいと取る人もいれば、一緒一緒、って思う人もいる。
本当に、人それぞれ、別のイキモノなんだよね。

ただ、事実だけ書く日記にはあたしは、したくないなーって思ったりするんだー。
書き方によるけど、それは自分らしいのかな?って思うから。
自分がわかるだけの内容と、人がわかる内容って、書き方違うし。

という感じで思い惑いながら、これからも記していこうと思う。



書くということ” への2件のフィードバック

  1. SECRET: 0

    PASS:

    私が書いた私の日記かと思っちゃうくらい、

    重なるところだらけで驚きました。

    結局、自分の書きたいように

    書くことしかできないんだよねー。

  2. SECRET: 0

    PASS:

    ☆yaeさん

    あたしもですね、yaeさんの日記を読んでいて、すごく自分と重なるところがいっぱいで、こないだびっくりしたんです^^

    自分にできることとはと思うと、やはり書きたいように書くだけなんですよね・・・。

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