心が乱れた時のやり過ごし方

誰もがあると思う。自分の心が乱れた時。

人に何かを言われたり、どうして?て思うことがあったり、うまくできなくて凹んだり。
大人になってあんまりナーバスになる機会も減ってきて、大人って素晴らしいと日常よく感じているのだけどそれでもいろいろとやってくることがある。
多分気にしなくてもいいけど気になっちゃうこと。
私の場合、気力が落ちている時は人と自分を比較して落ち込んでしまうとき。
それが自分の中の判断基準。これをやりはじめたら、やばい、て思うようにしてる。
別に比較してもどうにもならないのに勝手に比較して、私のほうが劣っているわと思ってしまってね。
あとは漠然とした比較。世の中と自分との比較とか。
落ち込んだ時にはいあがれるような材料セットを用意しておくといいと思う。
私にとっては自分の生理的欲をどれかひとつでもいいから満たしてあげる努力をすること。おいしいものを食べることが多いけど(満腹になると嫌なことを忘れることが多いから)寝るのもそうかな。10分寝るだけでもずいぶん気分転換になる。
とにかく、落ち込んでる自分を一生懸命自分でよしよしするのだ。
落ち込んでいる自分を発見したら、ちがう自分がいろんな道具を持ってきて「これはどう?これは?」て提示して、なんとか自分の中で「まあいっか」にもっていけるように努力する。ここで努力するという作業を使う。
もちろん気分転換でテレビを見て笑ったりすることもあるし。
そういうご褒美をたくさんあげることでいつのまにか落ち込んでいた気持ちが和らいでいることが多いかな。
となると結局「時間薬」も効いてるんだと思う。
不思議と「飲んで気を紛らわす」っていうことにまったく興味がなくてめったにやらない。やったとしても寝るための道具として。
誰かに話すのもいいけど話せない場合もあるじゃない?それに話すに足るほどのことじゃないけど凹んでる、て場合も。たいしたことじゃないのになんだかなぁって時。
人に話せば気持ちは楽になるけど今はやみくもに人をつかまえてこうでああで、て話すことが減ったかも。
ブログに書くことも減ったねw
意識して自分をいい状態に持っていけるように自分内で行動するように大人になってからはなったなぁとしみじみ思う。
もうちょっと若いころはそんなこと考えもしてなかったけど。
人からのなにげない一言ですごく傷つくことも時々あるから、私も人にそういう思いをさせないようにしなくちゃなぁと思いながら発言はしているけれどもどうなんだろうか。それでも人にとっては鋭角になることもあるのだろうな。
最終的には人は自分のことだけに興味がある生き物だと思うの。ひとのことに興味があってもそれは自分に興味があるからこその比較対象や嫉妬や憧れやドキドキだと思うんだよね。
それなら、自分で自分に思い切り興味を持って、時々客観的に見るようにしてみたりして早く元気な安定ラインの自分に戻れるような暮らしをしたいなぁ。
たとえ落ち込むことがあっても。
なにかに頑張って元気になる!んじゃなくて元気になるための努力を頑張る、まずは。
これから年を重ねていったらどんどん落ち込むことも増えるんだろうと思う。
ただ年を重ねるだけで増えることもあるだろう。
そこでつまづいて、凹んでってやっていると残りすくない人生の時間を有意義に使えない。時々思うんだ、誰かに逢うにしても誰かと過ごすにしても、時間は有限なんだなぁって。戻りはしないし、タイムリミットのなかの一部分なんだなって。
そう思うとちょっと焦ってしまうこともあるけれど、なるべく、自分が心地のいい精神状態にいる時間が少しでも長くいられるように。
そのために努力していくことが必要になってるな、て感じる。
写真は昨日のお散歩から、大好きなエナガ。
つぶらな瞳。かわいいな。10羽ぐらいの群れに囲まれて幸せなお散歩でした。
もっと早く起きたらもっと幸せな時間が増えたのになぁと後悔・・ちょっと寝坊したのよね、10分だけ。
最近その10分が縮められなくて。

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